ドイツの脱原発への道 2012 年 6 月 11 日 山脇直司

2012年6月11日(月)に開かれた第140回HSPセミナー「ドイツの脱原発を考える」にて、東京大学の山脇直司教授が講演されました。当日の資料を山脇教授からご提供頂きましたので掲載致します。

ドイツの原発17基と2022年末までの脱原発のロードマップ:別紙(PDF262KB)参照

戦後(西)ドイツの原発と反原発運動の概観

• 1955年――西ドイツの連邦原子力省が発足、核の平和利用がスタート。

• 1957年ミュンヘン郊外のガルヒングに研究炉を建設。

• 1960年フランクフルト郊外のカールシュタインに大手電力会社のためにジーメンス社が建設した商業用原発が運転を開始、61年には送電を開始。与野党とも、電気料金を下げ生活水準を上げるという理由で原発を支持。

• 1970年代――オイルショックもあり、14基の原子炉が運転開始。電力会社は2010年までに120基の原発建設を予定。特に、ライン川領域を原発銀座にする予定だった。しかし、1973年にライン川に面したブライザッハに原発を建設しようとしたが、原発冷却塔からの蒸気のために気候変動が起こり、ブドウ栽培に悪影響が出ることの恐れから、原発建設反対の嘆願書に6万5千人が署名。そのため建設地を19キロメーター先のヴュールに移そうとしたが、2万8千人にのぼる大規模デモが1975年に起こり、(その結果電力会社は操業許可を得られず、計画を放棄)以降、そのようなデモは全国各地に起こり、反原発ネットワークが形成される。1979年アメリカのスリーマイル原発事故はさらにこの動きを促進。

• 高放射性廃棄物の最終貯蔵処分施設の候補地となったゴアレーベン、高速増殖炉の建設が予定されたカルカー、使用済み核燃料の再処理工場の建設予定地ヴァッカースドルフでの反対運動。カルカーは建物が残るが本格的運転に至らず、遊園地と化した。ヴァッカースドルフは、映画(核分裂過程)にもなったような反対運動が起こり、1989年建設中止。ゴアレーベンだけが、今なお中間貯蔵地として使用中。

• 1980年に反原発を掲げる「緑の党」が結成される。発起人の一人であるルドガー・フォルマーは「エコロジーは人間存在を自然環境の文脈の一部と考える総体的な哲学」を掲げた。左派的な人々だけでなく、広く市民層に訴える。1983年に連邦議会選挙で28名を、1987年には44名を議会に送り込む。1998年にはSPDと連立政権を組む。

• 1986年チェルノブイリ原発事故による放射能汚染による農作物への被害の大きさ――事故直後に、バイエルン州東部の森林地帯では一平方メートルあたり3万ベクレル、ミュンヘン市内で1万9000ベクレルのセシウム137が一時的に検出され、牛肉、牛乳、野菜、野いちご、野生動物を直撃、空気と雨が運ぶ)。EUの限界値が1キログラムあたり600ベクレルであるのに対し、牛肉1キログラムあたり1000ベクレルのセシウム137が検出。2005年でも、きのこ1キログラム当たり1150ベクレルのセシウム137が検出。なお、セシウム137の半減期は30年間とされる。

• 南ドイツのバイエルン州の農作物被害によって、放射能汚染の危険性を人々は膚で感じるようになった。連邦環境・自然保護・原子炉安全省が発足。チェルノブイリ事故以降のCDUの歩み寄りと揺らぎ、再生可能エネルギー法案の提出(1995年)。

• 1987年グードゥン・パウゼヴァングの小説『雲』(邦訳『見えない雲』小学館文庫)が売り上げ150万部を突破。映画化もなされる。

• 2000年6月、シュレーダー政権――大手電力四社と脱原発の合意。減価償却を終えた原発を廃炉にする。稼動年数は32年とし、2022年頃に終了という合意。

• しかし2009年にメルケル政権は、原子炉の稼動年数の延長を企図。電力会社の要請のほかに、地球温暖化対策のために原発が必要というレトリックを用いた。

• しかし福島原発事故はこうした流れを大きく変えた。メルケル政権は原子力モラトリウムで7基を止める。保守派の牙城バーデン・ヴュルテンブルク州での政権交代。

メルケルは二つの委員会に助言を求めた

1. 原子炉安全委員会(専門家の技術者集団)――ストレステスト(洪水、停電、冷却システムの停止、航空機の墜落など)で基本的にドイツの原発の安全性を指摘。しかし、航空機の墜落の防護については、必ずしも完全に安全とは断言できない。

2. 倫理委員会。委員長はクラウス・テプファー(元環境大臣でCDUの緑派、UNDP委員も務めた)とクライナー(ドルトムント大学教授)。4月4日に作業開始、5月30日に「ドイツのエネルギー革命・未来のための共同作業」という提言書を政府に提出。全面否定派と比較考量派の双方の合意として、2021年までに全原発の廃止、2050年までにCO2排出量を1980年比で80%削減という目標設定。原子力による20ギガワットの新たな発電能力を風力、天然ガス、石炭、褐炭、バイオマス、ごみ焼却、揚水発電所などの建設で確保できる。楽観的過ぎないかという疑問や、他国(フランス、チェコ、デンマークなど)からの輸入問題はどうなるのかという問題は、まだ判然としないが、メルケル政権は6月6日に2022年までに原発全廃を閣議決定した。なお、ジーメンス社は原発からの撤退を明言した。

倫理的・社会学的観点からの反原発思想

• ハンス・ヨーナス『責任倫理』1979年(VSブロッホ『希望の原理』)のテーゼ――あなたの行為の影響が未来世代の生活の可能性を破壊しないように、もしくは、人類の永続のための諸条件を損なわないように行動せよ。未来に起こりうる「最悪の状態」を常に念頭において行動せよ。またそうした事態を回避するために、「我々に何ができるか」という問いと、「我々が何をなすべき」かという問いとをリンクさせよ。

• ローベルト・シュペーマン――エネルギー源としての原発が倫理的に正当化されえないという趣旨の1979年の反原発論文とそのカトリック教会への影響。ドイツ司教協議会は、1980年原発に懐疑的な立場表明、1998年脱原発表明、2000年代にも改めて反原発表明。これは、ドイツの反原発運動の担い手が左翼だけではなかったことをよく物語っている。

• ドイツ福音教会も原子力が再生可能エネルギーの発展までに必要な橋渡しのエネルギー源ではありえないことを2010年に表明。被造物への責任を強調。

• ウルリッヒ・ベック『リスク社会』1986年――工業化の進展の副作用としての環境破壊によって増大したリスクについて真剣に反省しなければならない時代(反省的近代reflexivemodernity)に入りつつあるという診断を下した。彼の言うリスクとは、人々の意識を離れて外在的に存在するのではなく、人々がそれを自覚することによって生じる概念であり、リスク社会の到来とは、社会の外部に想定されていた自然が社会の内部に取り込まれ、「文明化された自然」として社会学の新たな考察の対象となったことを意味し、放射能や食料などを汚染する化学物質などは、文明化された自然のリスクの典型とみなされる。こういう見解の下、彼は脱原発の立場を貫き、メルケル倫理委員会で大きな役割を演じた。→センとは異なる観点からの人間の安全保障論の端緒と考えるべきであろう。

参照文献

• 熊谷徹『なぜメルケルは転向したのか』日経BP社、2012年1月。

• 山脇直司「公共哲学の観点から考えるエネルギー・デモクラシー」『人間会議』2012年6月号所収、『公共哲学からの応答:3.11の衝撃の後で』(筑摩選書)2011年12月、など。